本多正観

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天明2年(1782)道部の鉄砲鍛冶の家に生まれたが、少年の頃に出家し、浄感寺の養子となった。青年時代に安芸で修業をしたとき各地で秀才といわれ、備後大寺院では住職になってくれと懇望されるほどであったが、これを謝絶して帰郷した。
正観が浄感寺塾を開塾したのは文化、文政の頃と思われ、筆子、門人、素読の弟子が530人以上おり、その中には那賀に土屋塾を開いた土屋三余、下田に出て漢学塾を開いた高柳天城、堂宮彫刻師石田半兵衛、鏝絵の入江長八など、多くの偉人がいる。
学徳ともに優れた正観は、京都本願寺の本廟使(布教僧)を命ぜられ4年間全国を行脚した。
また、正観は、藺草の栽培と畳表製造の普及にも尽くした。
弘化2年(1845)6月21日没、享年64歳。

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